生活臨床とは
患者さんの具体的な生活行動や家族史の文脈から、患者さんの「価値意識」を特定し、それを社会生活の中で実現することを支援するアプローチです。生活臨床は、1950年代に当時の群馬大学医学部教授の臺(うてな)弘先生、助教授の江熊要一先生を中心にはじまり発展してきました。
退院してはすぐに幻覚妄想が再燃してしまう統合失調症の患者がいた。主治医の江熊は、なぜ退院すると再発してしまうのかを探るために生活場面での患者を観察すべく、家庭訪問に出かけた。患者の外泊に同行したところ、家に近づくにしたがって患者の表情が硬くなってきたのに気がついた。あたりを見渡すと、近所の人たちが患者の悪口を言っている「声」が「実際に」聞こえたのである。これが再発の「原因」と直感し、患者とともに近所の家に挨拶回りをして、近所の人たちの受け入れを改善する支援をした。
伊勢田 堯 先生
※補足 専門職の方々へ〜生活臨床とは〜(伊勢田, 2020年)
生活臨床は精神疾患および精神疾患を抱える人を生活・人生・社会との関係性で理解する哲学であり、患者・家族の価値意識を患者・家族・支援者がコプロダクションの手法によって実際の生活で実現するための支援技法である。この人間理解の哲学は発展進化している。生活臨床は、これに学び、貢献もするという意味で、進化概念(an evolving concept)に属すると考える。技法は哲学から生まれるものであり、実際の臨床場面では哲学を追求していると、サイエンス(ガイドライン)の原則の上に、その状況におけるその支援者なりの技法(アート≒応用)が生まれ、それがそれに相応しい効果を発揮する。生活臨床を単に技法として理解することの弊害は少なくないので注意が必要である。
生活臨床における生活とは
「生活とは、意識化されているかどうかは別にして、数世代にわたる家族史に受け継がれている価値意識の文脈上に、家族や社会との関わりの中で、自分自身の価値意識を形成し、それを人生で実現しようとする過程」(伊勢田, 2016年)と定義されています。
一般的に「価値」というと、真・善・美のような普遍的な価値観が思い浮かぶかもしれませんが、ここでの「価値」という言葉は少し異なっています。私たちの中には、そうとは意識せずに、家族や友人、生きてきた時代背景や文化などから様々な影響を受ける中で固有の「価値」が形作られていきます。本人自身もあまり意識していないことも多い、その人が大切にしている「価値」がどのようなものなのかを見極めることを生活臨床では大切にしています。このような価値のことを特に「価値意識」と呼びます。そして、生活というのは、その価値意識に従った人生上の目標を達成していく過程であるとしています。ところが、目標がみつからなかったり、達成に大きな障害が立ちはだかってしまったりしたとき、脳機能や精神機能に不調が生じると考えられています(伊勢田の“精神疾患の脳と心の反応性不調モデル”)。
生活臨床からみた”症状”と”生活・人生の関係性”
「精神症状によって生活がうまくいかなくなり、思い描いていた人生を歩むことが出来なくなった、だから精神症状をなくすことがまず大事だ」と考えるのは自然な考え方だと思います。一方で、精神疾患には“人生が行き詰まるから精神症状が出現し、悪化してしまう”という特徴もあります。薬物療法は主に精神症状に対して作用しますが、人生の活路を見つけ出す、という視点で治療に取り組むと、前述の江熊先生の症例のように予想外の良い結果をもたらすことが分かっています。
生きる目標を見つける
人生の行き詰まりを解消するにあたり、ヒントになるのは3つの生活課題であると考えられています。それは、「発病時課題」「指向する課題」「家族史的課題」です。
「家族史的課題」とは、有形無形の正負の遺産が代々受け継がれていく家族の歴史の中で、ある世代が先代から課せられた主要な生活目標、家族運営上の主題を指します。例えば、先祖代々の土地や家業を守り次代に伝えていくこと、とか、没落期にある本家を分家に負けないように再興すること、などがあります。このような家族史的課題を見出すためには、父母だけでなく、祖父母の代にまでさかのぼって、どのような家に育ち、どこの学校に通い、職業に就いたのか、どのような人と結婚し、どのような家庭を築こうとしたのか、などの情報を収集します。また、ご本人に対しての育児方針、習い事、部活や受験、就職、結婚への両親の具体的な関わりについても聞いていくと、家族の中でのご本人世代への期待がどのようなものであったのかを知ることにつながっていきます。前述の発病時課題や指向する課題は、両親の家族師的課題を反映していることも少なくありません。
作戦会議
これまでみてきたように、人生の希望や生活目標を達成していくため、これからどのように取り組んでいくのが良いのか、どのような支援が提供されることが必要なのか。それは、医師などによる一方的で指導的なアドバイスではなく、支援者や家族、そして本人自身も知恵を出し合い、前向きに話し合う中で生まれてきます。生活臨床では、これを「作戦会議」と名付けています。患者さんご本人や家族の病理、コミュニケーション障害を改善することを目的とするのではなく、精神症状や生活障害の背景にある人生と家族運営の行き詰まりを解消し、リカバリーを支援していくことを目指します。このようなアプローチは、海外でも注目されている当事者自身の参画によるコ・プロダクションのスタイルとも言うことができます。
生活臨床勉強会
生活臨床はそれぞれの人生、家族史を紐解き、精神症状や生活障害の背景にある人生の行き詰まりを解消することを目指すため、個別性が高く、なにか決まったやり方があるわけではありません。支援者が一人で抱え込むのではなく、多くの専門職が、時には自分自身の経験も持ち寄りながら知恵を出し合うことで、思いがけないアプローチに気づくことも少なくありません。
当院では、定期的に「生活臨床勉強会」を開催し、地域の保健師、看護師、リハビリスタッフ、心理士、薬剤師など多様な専門家が参加して事例検討会を行っています。 生活臨床に興味のある方は、ぜひ勉強会にお越しください。
※生活臨床勉強会のスケジュールについては、当院ブログにてお知らせしておりますので、ご確認いただけますと幸いです。
参考図書
統合失調症患者の希望にこたえる支援